キリムの織り手と文様

キリムとは3

6. キリムの織り手

キリムは彼らの生活必需品ばかりではありません。

家族の危機の時にはお金に換えられました。また普段の生活で手に入れることが出来ないもの、薬、化学染料、貴金属品などとの物々交換にも使われたりしました。

その幾何学文様に織り込まれたデザインの中にはそれぞれの部族の身元を表す家紋もあります。

羊 を連れて牧草地から牧草地への移動は、基本的に毎年同じ場所を通過しました。西アナトリアを移動したある部族は、夏場はヤイラと呼ばれる草の生えている、 より涼しい牧草地を目指し、冬場は山を越えクシュラと呼ばれる南にある宿営地に、羊、ヤギや他の家畜の群れを連れ、年間約400kmを移動したそうです。

そ の際、キリムに織り込まれたデザインが、その部族の印すなわち家紋として通行証の役割を果たしました。また羊や家畜、そして自分達が通過地の水を使う権 利、放牧する権利の取得など、財政、商業、政略的な利益にいたるまで、キリムが果たしていた役割はとても大きかったのです。

この様にキリムは、その部族、その家族において、生活の全てにかかわる大切なものでした。遊牧民の生活に大きな役割を果たすキリムを織っていたのは女性たちです。

彼女達は、たくさんのキリムを愛情と義務と自尊心を持って織り上げてゆきました。幸福、多産、繁栄への祈りの気持ち、夢、喜び、そして人間に害をなす精霊や迷信から身を守る邪視除けといった要素をすべてキリムの中に表現してゆきました。

抑圧された保守的なイスラム社会の中の慣例や戒律、そして昔から続く強固な部族集団の厳格な伝統にもかかわらず、女性たちの想像力や技術は無限にひろがり鍛えられてゆきました。

家族のため、自分のため、将来の夢に向かって、その部族を象徴するモチーフのデザインが厳格に祖母、母、子、孫、と代々織り継がれてゆきました。

キリムの柄のみならず、色にも部族の色がありますが、色は自然現象の関係で20-30年ごとに少しずつ変わってきています。

遊牧民の娘たちは、15~6歳でテントからテントへと嫁入りをしました。その際、持参品として持っていったのがキリムでした。

“キ リムを織ること”は、若い娘とその家族にとって、絶対不可欠な最大重要事項でした。花嫁の家族にとって、結婚は生活の改善とレベルを上げるチャンスでし た。キリムの出来の良し悪しが、花婿側からの返礼としての家畜の数に大いに貢献したのです。トルコには“よき織り手はその家に幸運をもたらす”との言い伝 えがあるとおり、花嫁の持参品であるキリムが花婿と花嫁の部族両方に富をもたらしたのです。

女の子が生まれると、祖母や母 はこの子の嫁ぐ日を夢みて、心からの幸せを願い、胸を躍らせながら、毎日せっせとキリムを織り続けたことでしょう。そして5歳位になると、女の子はその傍 に座り、見様見まねで糸の作り方、染め方、織り方やデザインをその手と感覚にしみ込ませていったのです。

キリムはすべてが一点しかない織物です。

遊 牧民の女性たちはキリムを織る際、“型紙”や“デザイン画”は使いませんでした。先祖代々織り継がれたデザインは、小さい時から織りをする祖母や母の横に 座っていた彼女たちの、頭の中や手や感覚に自然に刷り込まれていったのです。時に自分の気持ちや感情の表現が、新しい創作デザインとなりキリムに織り込ま れ、それがその部族の新しいデザインとなって、後世に織り継がれていった事もあるでしょう。キリムが他の織物と大きく違い、女性たちのその時の感情表現と 言われるゆえんです。「先祖から代々伝わるものを強固に守り、未来に伝える事」が、彼等が一番大切にしていたことです。それはきっと“きずな”すなわち “家族”だったに違いありません。そこに意識せずに伝統が生まれ、文化が育っていったのです。

上等なキリムとは、最上級のウールを使い、色は透明感があり定着し、織りの技術がしっかりしている事、この3拍子が揃ったものです。

上等の羊の毛を刈り、糸にして、そこにある植物で染色します。そして簡単な織り機に糸を掛け、織り始めます。何年も何年も縦糸に横糸を往復させ、気の遠くなるような時間と労力をかけて、何十年も使うるに耐える丈夫で美しいキリムを作るのです。

祖母や母そして本人が、精魂込めて織り上げた上等のキリムを持って嫁ぐ娘には、たくさんの羊が返礼として実家に贈られました。
遊牧生活において女性は大切な働き手でした。家畜の世話をし、家事をし、そしてキリムを織る、その重要な働き手を嫁にもらう代償として、多大なお金すなわち羊が支払われたと言うことです。貧しくては嫁も取れない訳です。

一方、現在手に出来る昔のキリムを目にしますと、女性たちは義務で根をつめて織ったのではなく、好きな時に織り中断し、また織り続けるといった具合で、その作業を大いに楽しんでいたように感じます。日々の心の動きや感情などが、その織物から伝わってきます。

キリムとは女性たちの気合と心意気の結晶なのです。

ある部族(アフガニスタンのトルクメン)は20数枚のキリムを持参品として嫁ぎました。

  • テントの入り口にかける目隠し用 - 1枚
  • テントの入り口にかける長い房飾りのついた装飾品 - 1枚
  • 衣類や穀類、道具類を入れる大きな袋 - 13枚
  • 寝具などを入れる大きな袋 - 2枚
  • 岩塩袋 - 2枚
  • テントの柱につるす小さな袋 - 2枚
  • 大きな敷物 - 1枚
  • 小さな敷物 - 1枚
  • フェルトの敷物 - 1枚
  • 長さ15メートルの幅の狭い紐(テントを作る際に組み立て用に使われた)持参品の数はその母親が1920年代に、嫁入りに持ってきたキリムの数とそう変わっていないそうです。(Woven Magic より)

他の部族も大体同様だったと思われます。

よい持参品をたくさん作りたいと言う情熱と共に、キリムは何世紀にもわたり、中東や周辺諸国の女性たちの伝統文化としても、丹精込め織り継がれてきました。

7. キリムの文様

シャーマニズムを信じていた遊牧民は当時きっと具象的な花、鳥、動物などをキリムのデザインに織り込んでいたはずです。遊牧民トルコ族が、東アジアから西へ西へと移動しアナトリアにやってきたのが、11~12世紀頃です。当時のアナトリアはすでにイスラム教の世界でした。

東 シベリアに祖先を持つトルコ系遊牧民は、6世紀に騎馬遊牧民として、羊を追いながら西へ移動を始めました。中央アジアから西アジアへと移動を続けて、 11~12世紀にはアナトリアに進出します。13世紀後半までにアナトリア地方に移動したトルコ系遊牧民は、約35~60万人と言われています。その頃の アナトリアは、すでに先住民、他の遊牧民など、彼等の10倍以上の人々がセルジュク朝トルコの支配下に生活していました。

14世紀になると、アナトリア地方は“トルコ族の土地”と言われるほど、政治、社会の主導権を、トルコ系遊牧民が握っていました。オスマントルコの始まりです。オスマン朝トルコはそれ以後20世紀までも続きました。

イ スラム教は偶像崇拝を禁止しています。トルコの多数を占めるのがスンニー派です。これはイランのシーア派と教義が異なり戒律が厳しく、人物や動物、花など を具象的に描くことは禁じられており、トルコのキリムは、ほぼすべてが幾何学文様で表現されています。これらの文様は単なる装飾や楽しんで織り込んだ飾り ではなく、デザインすべてに意味があります。

“狼の口”は、邪視除け、自分に危害を加えるものや悪いものを封じ込めます。

“羊の角”は、力強さ、たくましさ、男らしさを表しています。

“腰に手を置く女性”(エリベリンデ)は、繁栄、多産、豊穣を意味します。

“生命の樹”は永遠の命、繁栄です。

また、これらのデザインはイスラム教と融合するまでは、具象的であったと思われるものですが、今ではポピュラーなキリムの幾何学文様として現在に伝えられています。

その他に、櫛、鳥、耳飾り、ドラゴン、足かせ、目など、これらの文様の組み合わせそして色使いで、女性たちは気持ち、夢、願いなどをキリムの世界に表現してきたのです。

キ リムの多様な図柄や華やかな色使いは、時代から時代、土地から土地を移動する過程で変化を続けました。トルコの気候風土やそれぞれの生活習慣を、しなやか にその感性で受け入れた遊牧民女性達の織物とは、彼女たちの生きざま“自然界と一つになった織り手の宇宙観の融合”の表現なのです。

キ リムは商業目的ではなく自家用であった為、彼女たちはその想像力を自由自在に使い、イスラムの特徴である幾何学文様により、独自の芸術世界を確立していっ たのです。キリムという織物のなかに展開される世界は、自然を友に暮らした女性達に生まれながらに備わった芸術的感性により、遊牧民の世界観を端的に表現 していると思います。

 

2010年1月
有限会社 キリムズ ジャパン
斎藤 待子